京都の町も一望できる桜と紅葉の名所「第二十番札所 西山 善峯寺」

●宗派:天台宗単位
●御本尊:千手観世音菩薩
●開基:源算上人
●創建:長元2年(1029年)

《概要》
比叡山の僧・源算(げんさん)が47歳の時、この地に小堂を建て、十一面千手観音菩薩像を刻み本尊としたのが開創と伝えられています。

その後、後一条天皇(ごいちじょうてんのう)から善峯寺の寺号を賜り、国家鎮護の勅願所とされ、建久3年(1192年)、後鳥羽上皇から善峯寺の寺額を賜って寺名が改められました。

歴代天皇らの帰依を受け、往時は50余りの堂宇を有するほどの隆盛を誇りましたが、応仁の乱の兵火で焼失しました。

現在ある堂塔の多くは、江戸時代に徳川五代将軍・綱吉の母・桂昌院(けいしょういん)によって再建されたものになります。

寺は釈迦岳の標高310mのところにあり、山の斜面訳10万㎡にわたって堂塔が点在するために坂が多くなっています。

そのため一巡するだけで四十分程かかるものの、樹木に覆われた約3万坪の境内には西山を背景にして、江戸時代に建てられた諸堂が立ち並んでおり、季節の花々が美しく、時折見渡せる京都市街と東山や比叡山の眺めが疲れを忘れさせてくれます。

急な石段の参道を上っていくと元禄5年(1692年)に再建された山門に着き、その山門は源頼朝が寄進したという阿吽の金剛力士像が立ち、楼上には文殊菩薩像が安置されています。

山門をくぐり、石段を上った先にある本堂(観音堂)は、入母屋造本瓦葺の大屋根が見事で、西国札所であると同時に、洛西三十三ヶ所の第1番札所としても信仰を集めています。

また、本尊の千手観世音菩薩は仁弘(じんこう)法師の作で、脇立ちの千手観世音菩薩が源算上人の作といわれています。

本堂横の石段を上った多宝塔【重要文化財】の前に繁る、全長40数mにも及ぶ「遊龍(ゆうりゅう)の松」【天然記念物】も一見の価値があります。

多宝塔から石段を上ると展望が素晴らしいけいしょう殿があり、石段を上って奥の院薬師堂、阿弥陀堂と一巡できます。

《参詣ガイド》
善峯寺は釈迦岳(しゃかだけ)の支峰・善峰(よしみね)の中腹に立っており、阪急東向日(むこう)駅から1時間に1本程度のバスで西の山に向かいます。

その途中、在原業平(ありわらのなりひら)ゆかりの十輪寺を過ぎて、竹製品、竹炭を販売する店や、タケノコ料理の店が点在する道を25分余り、終点の善峯寺バス停でおります。

赤い一の橋を越えて、急なつづら折の坂道、阿知坂を上っていくと、やがて組物の白い木口が印象的な山門が現れ、堂宇は、ところどころ岩肌が露出する斜面を切り開くようにして立ち並んでいます。

源算上人が、寺を建立する際、山が険しくて困っていたところ、猪の大軍が現れて一夜にして岩場を平地に変えた、という伝説が残るのもうなずける場所となっています。

境内は、手入れの行き届いた回遊式庭園になっており、参道に沿って一巡することが出来、春には桜、続いてツツジ、サツキ、アジサイ、秋には秋明菊、紅葉と続き、花の寺としてもよく知られています。