空也上人立像等 木造仏像の宝庫「第十七番札所 補陀洛山 六波羅蜜寺」

●宗派:真言宗智山派
●御本尊:十一面観世音菩薩
●開基:空也上人
●創建:天暦5年(951年)

《概要》
開基の空也(くうや)上人は病人や貧者を助け、橋を架けたり井戸を掘ったりするなど、常に市民の中にあって念仏をすすめたことから、「市の聖」と呼ばれ敬われましたが、その空也上人が応和3年(963年)に建立した西光寺がこの寺の始まりといわれています。

天暦5年(951年)、京都に流行した疫病の退散を祈って自ら観音像を刻み、仏像を車に安置して市中を曳き回り、「皇服茶(おうぶくちゃ)」を病者に」授けて、病魔を鎮めたといわれています。

その尊像を、一堂を建てて安置したのが寺の起こりで、寺はその後天台別院として栄え、源平時代には平家一族の邸宅が立ち並んだが、平家没落後に本堂のみを残して焼失しました。

後に、源頼朝、足利義詮(あしかがよしあきら)に修復されたものの、応仁の乱でも焼失し、さらに豊臣秀吉と徳川家によって修復されました。

寺はあの世とこの世の交差点にある六道の辻を西にはいた住宅地にあり、注目すべきは15体の国宝・重要文化財指定の仏像など、主に平安、鎌倉期の名宝を有することと、正月の皇服茶授与や8月8~10日の間、夜を徹して行われる萬燈会、12月13~31日の空也踏躍念仏など、長い間受け継がれてきた行事の数々になります。

また門からすぐのところにたつ本堂【重要文化財】は貞治2年(1363年)の再建で、上人が刻んだ十一面観音像【国宝】を安置しています。

本堂では、生年月日と性別で一年の運勢を占う「四柱推命おみくじ」(300円)も授かることが出来ます。

本堂横には平清盛の供養塔、平景清を護った白拍子の阿古屋塚が並び立ち、宝物館には念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承を表した空也上人立像【重要文化財】、平清盛坐像【重要文化財】、運慶(うんけい)・湛慶(たんけい)の親子の坐像など平安・鎌倉期の木造彫刻の名宝が数多く並んでいます。

《参詣ガイド》
市中からは、鴨川を松原橋で東へ渡り、第16番札所の清水寺に向かう途中にあり、巡礼の順番からいくと、清水寺から清水坂を下り東大路通を越えて松原通に入ります。

お盆の精霊迎えの鐘で名高い六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)門前のやや西が六道の辻となり、謡曲「熊野(ゆや)」でシテの熊野が通った道で、「げに恐ろしやこの道は、冥途(めいど)に通ふなるものを・・・」と語られています。

平安の昔から、葬送の地であった鳥辺野の入口に当たるこの辻のすぐ南に、六波羅蜜寺はあります。

京阪電車五条駅を東へ出て、大和大路の次の道を左(北)へ進む方法もありますが、今は4民家が立て込んでおり、平清盛をはじめ弟の教盛(のりもり)や異母弟の頼盛(よりもり)ら平家一門の邸宅が並んだ夢の跡地をたどる道でもあります。

東面して立つ門が入り口で、寺の東側の道も、六原小学校の校地も明治初期までは寺の境内でした。

昔は南と北にも寺の門があったが、南門跡が裏門通りの名を残すだけとなっています。