革聖・行円上人創建で革堂さんこと「第十九番札所 霊雄生麀山 革堂」

●宗派:天台宗
●御本尊:千手観世音菩薩
●開基:行円上人
●創建:寛弘元年(1004年)

《概要》
草創は寛弘元年(1004年)開祖の行円(ぎょうえん)上人が一条小川にあった一条北辺堂を修復し、行願寺と名付けたのに始まると伝えられています。

郷円上人はもと猟師で、射止めた雌シカが子を宿していたのを見て殺生を悔い、仏門に入ったといわれています。

上人は母鹿の皮に千手陀羅尼経を書いて衣とし、修行に励むとともに、苦しむ人たちを助け、仏の道を説いてまわりました。

比叡山の横川(よかわ)で修業したので、横川皮仙(かわひじり)とか革聖人と人々は呼び、革聖の建てた寺は革堂の愛称で呼ばれるようになりました。

行円上人が夢で告げられた加茂社の霊木で彫り上げた八尺の千手観音を本尊とし、一堂に安置したのが寺の起こりになります。

もとは一条油小路にありましたが、天正18年(1590年)、秀吉の寺町造営によって寺町荒神口へ移築され、次いで宝永5年(1708年)の火災の後に、現在の場所に移されました。

寺は民家や商店が軒を連ねる、昔ながらの京都の風情が感じられる場所にあり、長年上京町衆の会堂の役割も果たしてきました。

西面して立つ山門は、幕末の蛤(はまぐり)御門の変で焼け、明治3年(1870年)再建された医薬門になります。

正面の本堂は入母屋造本瓦葺で、千鳥破風の向拝に、檜皮葺の唐破風の軒先を付け、文化12年(1815年)の棟札が残っており、京都市指定文化財となっています。

本堂外陣の格天井には本堂建立に尽力した人々が奉納した171面の花鳥の彫刻が施されています。

須弥壇中央の厨子の中には行円自刻の身の丈8尺(約2m40cm)の十一面千手千眼観音像を安置しており、本尊に向かって右には地蔵菩薩立像、左側の厨子には元三(がんさん)大師を祀っています。

本堂のほかに文化年間の建物としては文化元年(1804年)建立の鐘楼(京都市指定文化財)、文化10年建立の鎮宅霊符神堂、文化12年建立の愛染堂、文化14年建立の庫裏があります。

また宝物館には奉公先の主人に殺された娘を絵馬に描いて奉納したといわれる幽霊絵馬があり、毎年8月22日と23日に公開されています。

都七福神の一つで、境内には寿老人(じゅろうじん)を祀った寿老人堂がたち、初詣や毎月7日の都七福神縁日には長寿延命を願う多くの人が訪れます。

《参詣ガイド》
京都御苑の東側を南北に延びる寺町通と、丸太町(まるたまち)通との交差点から100mほど南の東側に、尼僧の守る観音の寺、革堂が山門を構えています。

バスであれば、河原町丸太町で下りれば徒歩5分ほどで、地下鉄東西線市役所前駅や京阪丸太町駅からも10分弱で到着します。

寺町通は豊臣秀吉の時、市中の寺が集められたところからその名が付き、現在ではお茶や筆墨、紙、古道具、古書などを扱う老舗が多く、落ち着いた佇まいの町並みが続いています。

寺は現在地に移転して300年が経ち、町の中にすっかり溶け込んで、近くに住む人が朝に夕に訪れています。