いけばな発祥で聖徳太子が創建の古刹「第十八番札所 紫雲山 六角堂」

●宗派:天台系単立
●御本尊:如意輪観世音菩薩
●開基:聖徳太子
●創建:用明天皇2年(587年)

《概要》
京に都が開かれるよりも200年余の昔、用明天皇2年(587年)に聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めてこの地を訪れた際に、仏のお告げを夢で見られ、六角の御堂を建てて護持仏を安置されたのが寺の起こりと伝えられています。

この時、太子が沐浴されたと伝えられる池跡のほとりに、小野妹子が始祖の池坊と呼ばれる住坊があり、その池坊の僧侶がご宝前に備えた花が、いけ花の始まりとされています。

寺は賑やかなビジネス街にあり、表門をくぐるとまず目に入るのが本堂に吊るされた赤い大きな提灯と、枝が地面に届くほど伸びた六角柳になり、枝を2本寄せておみくじを結ぶと良縁に恵まれるとも、願い事が叶うともいわれています。

本堂は寛永18年(1641年)御所の建物造営の余材を用いて建てたことが知られていますが、度重なる火災に遭いましたが、その都度再建され、現在の建物は明治10年(1877年)に建てられたものになります。

堂内に祀る5.5cmの本尊は、聖徳太子ゆかりの秘仏で、本尊を大きくした身の丈1.5mほどの同形の金銅御前立(おまえだち)が安置されており、右膝を立て、右手をあてた姿で、ほんの少し右へ顔を傾けています。

宝珠と法輪を持つ如意輪観音は衆生の苦しみを救い、願い事をすべて叶えると信じられてきました。

本堂前の敷石にある六角形の石は、かつてここが京都の中心地だったことから「へそ石」と呼ばれています。

平安遷都の折り、寺が道路の中央にあったため、桓武天皇の勅使が本尊に移動を願ったところ、六角堂が礎石(へそ石)ひとつを残して、自ら15mばかり北へ退いたという逸話が残っています。

また、親鸞上人が建仁元年(1201年)、六角堂に百日参籠し、95日目に夢で如意輪観音より「法然の許へ行け」とのお告げを得たことが、浄土真宗を生み出す契機となったといわれており、境内には上人の姿を刻んだ夢想之像と、草鞋の御影像を安置した親鸞動画たっています。

江戸時代には東西41間半、南北49間半の規模があり、愛染院、多門院、不動院、住心院などの塔頭があったが、分離独立したり、廃絶したりして今は本寺のみとなっています。

《参詣ガイド》
京都駅正面から北へ延びる烏丸(からすま)通の四条交差点からも、御池通との交差点からも3筋目に当たる六角通を東に入ってすぐのところに、通りの名の起こりとなった六角堂こと頂法寺があります。

南面して立つ山門をくぐると、唐破風の礼堂に「観世音菩薩」と墨書した赤い大提灯が吊るされ、前には邪鬼が支える香炉から紫煙が立ち上っています。

その奥の屋根に宝珠が輝く六角の造りの本堂には、洛陽三十三観音巡りの筆頭にも挙げられる如意輪観音像を祀っています。

ビルが林立する最も現代的な光景の中に、巡礼の鈴の音と御詠歌が流れる境内には、変わるものと変わらないものの対比が印象深いです。