頭の観音さん、熊野詣の聖地の「第十五番札所 新那智山 今熊野観音寺」

●宗派:真言宗泉涌寺派
●御本尊:十一面観世音菩薩
●開基:弘法大師
●創建:天長年間(824~834年)

《概要》
今熊野観音寺は泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭で、寺伝によると弘法大師が熊野権現のお告げで一堂を建立され、自ら刻んだ一尺八寸の十一面観音像に、授かった一尺八寸の像を体内仏として納め安置したのが起こりだといわれています。

平安時代に時の左大臣・藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)の発願によって自域が広げられ、斉衡(さいこう)2年(855年)、子の春津(はるつ)の時代に伽藍が完成しました。

その後、熊野権現を篤く信仰する後白河法皇が、この地に熊野那智権現を勧進して山号を新那智山と定めると、この頃から盛んになった熊野詣に合わせて、寺運大きく栄えました。

かつての観音寺の奥の院巡礼堂の位置に立ち、正徳2年(1712年)に建立された本堂は、大師と熊野権現の出会いの場所と伝えられており、本尊の十一面観音は後白河法皇の頭痛を平癒したことから「頭の観音様」と呼ばれ、頭痛やぼけ封じ、知恵授けに霊験があるといわれています。

東山山麓の自然に包まれて広がる境内には地蔵堂、大師堂、医界に貢献した人々を祀る多宝塔形式の医聖堂、熊野権現を祀る社などの諸堂が立ち並び、中でも大師堂は弘法大師像の見守る中、護摩の修法を行うところで、不動明王、愛染明王とともに、藤原緒嗣像を祀っています。

また本堂の向かいと鐘楼の近くには、弘法大師が錫杖で岩根を叩くと湧きだしたという霊泉「五智水」が今も残り、さらに本堂背後の墓地には、藤原三大の墓と呼ばれる石造宝塔三基が建っています。

参拝後は泉涌寺に回り、宋の法式に則って建てられた仏殿や、天皇や皇妃が月輪陵を参拝したときに使われた御座所を訪ねてみるのも良いでしょう。

そこには唐の玄宗(げんそう)皇帝が楊貴妃の死を悼んで作らせたという楊貴妃観音像も祀られています。

《参詣ガイド》
東大路通の泉涌寺道バス停すぐの交差点から東へ、月輪山の麓に向かって参道を上りますが、この道は泉涌寺への参道として今は泉涌寺道と呼ばれています。

ただ、泉涌寺は皇室の菩提寺として長く一般の人の参拝が出来なかったため、もっぱら観音寺への参道として観音寺大路と呼ばれてきており、バス停の西方、一の橋川に架かる大路橋の名は、観音寺大路に架かる橋に由来します。

即成院(そくじょういん)、戒光寺(かいこうじ)など、泉涌寺塔頭の前を通り、案内に従って左に折れると、赤い鳥居橋を渡って観音寺に着きますが、寺の参道から境内一帯は、特に、紅葉に染まる頃が美しいです。

また、泉涌寺道のバス停の北方、次の信号から滑り石(すべりいし)街道を東に入り、トビウオの絵馬や子供の守り神として知られる剣(つるぎ)神社門前から南へ、東山周遊トレイルコースに入って、寺の鳥居橋の下に出る道もあります。

昔はホトトギスの声を聞く名所として歌にも詠まれましたが、現在では人家が立ち並び、一条天皇中宮定子の鳥戸野陵の下あたりが野趣の残る道となっています。