那智大滝を望む観音巡礼最初の寺「第一番札所 那智山 青岸渡寺」

●宗派:天台宗
●御本尊:如意輪観世音菩薩
●開基:裸形上人
●創建:仁徳天皇時代(313~399年)

《概要》
青岸渡寺は西国三十三ケ所の起点となり、「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されている名刹となります。

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)や熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)と共に熊野三山として数えられている那智山は熊野の自然信仰と観音信仰、さらに補陀落(ほだらく)信仰が結びついて古くから日本有数の霊地として知られてきました。

特に平安朝の中期以降は「蟻熊野詣」といわれるほどに人々の信仰を集め、西国霊場を中興した花山(かざん)法皇もこの地から西国三十三ケ所観音巡礼に出発したことから、青岸渡寺が西国第一番札所となったといわれています。

明治の初めに青岸渡寺と熊野那智大社に分かれるまでは、神仏習合の修験道場として栄えた歴史があり、この廃仏毀釈によって熊野本宮大社と熊野速玉大社の仏堂は廃されましたが、熊野那智大社の仏堂は破壊を免れ、信者によって青岸渡寺として復興されました。

青岸渡寺の歴史ですが、インドから渡来した僧・裸形(らぎょう)上人が那智大滝にて修行をしていた際、滝壺で八寸の観音菩薩を感得し、庵を営んで安置したのが起こりといわれています。

推古天皇の頃に生佛(しょうぶつ)上人が来山し、椿の大木で如意輪観世音を彫り、その胸のあたりに裸形上人が感得した観音菩薩を納めて、本堂である如意輪堂が建立されました。

現在の本堂は、織田信長の南征の兵火で焼かれた後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって再建されたものです。

堂内には秀吉が寄進した日本一の大鍔口も下がり、本堂の脇には鎌倉時代に造られた宝篋印塔(ほうぎょういんとう)【重要文化財】が建っています。

本堂のすぐ左手には、同じく世界遺産に登録されている熊野那智大社が隣接されており、また本堂の北側から参道を下りれば、昭和47年(1972年)に再建された朱塗りの三重塔と、那智原始林を背に抱いて飛沫をあげる那智大滝の絶景を見渡すことが出来ます。

《参詣ガイド》
JR紀勢本線の紀伊勝浦駅から那智山方面行き熊野交通バスに乗って、途中那智の滝を見ながら終点の神社お寺前駐車場バス停まで約30分となり、そこからは両側に土産物店が並ぶ石段の表参道を登ると、約15分で青岸渡寺に着きます。

また、時間に余裕がある人には熊野古道の雰囲気を今も残している大門坂(だいもんざか)から歩き出すのがおすすめとなります。

「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されて、脚光を浴びているのが大門坂となるのですが、ここには那智山行きのバスの途中にある大門坂バス停で降ります。

杉の大樹に覆われて苔むした石段を登って、さらに茶店や土産物屋が並ぶ約500段の石段を登りつめて山門をくぐると、眺望の開けた境内に至ることが出来ます。

これが古来の熊野詣の道で、西国霊場巡りの参道となり、世界遺産になってからは。これまで終点で乗降していたバスの乗客も上りか下りのどちらかを歩く人が多くなりました。

ちなみに足の不自由な方やお年を召した方は有料の専用道路を経由すると青岸渡寺の駐車場まで行くことが出来ます。