眼病に霊験があり壺阪霊験記で知られる「第六番札所 壺阪山 南法華寺」

●宗派:真言宗
●御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
●開基:弁基上人
●創建:大宝3年(703年)

《概要》
壷阪寺は、大宝3年(703年)に元興寺の弁基(べんき)上人が山中で修業中、愛蔵の水晶の壺中に観世音菩薩を感得し、その壺を坂の上の庵に安置し、観音像を刻んで本尊としたことが始まりといわれています。

城和14年(847年)には官寺に準ずる定額寺(じょうがくじ)に列せられ、10世紀末に子嶋寺の真興が入ると、寺は真言の一大道場として大いに繁栄し、全盛期には三十六堂六十四坊を数えた大寺院となり、枕草子にも「寺は壺阪、笠置、法輪」と筆頭に挙げられました。

嘉保3年(1096年)には創建以来初めての大きな火災に見舞われ、主要伽藍を喪失し、南北朝時代には南朝の本拠であった吉野4と奈良盆地を結ぶ道筋にあることが災いし、争乱に巻き込まれました。

さて、壷阪寺ですが標高300mの地にあり、山の緑に囲まれて新旧の諸堂が雛段のように造成されており、仁王門を潜り石段を登ると右手に方3間、本瓦葺きの優雅な三重塔【重要文化財】、さらに左手には禮堂【重要文化財】と八角円の形をした本堂があります。

本尊の十一面千手観世音菩薩は古くより目の観音様として信仰を集め、元正天皇・桓武天皇・一条天皇の眼病も平癒されたといわれています。

さらに明治の初め、盲目の夫・沢市とその妻・お里の霊験話、浄瑠璃「壺阪霊験記」により、寺の名前はより一層広まり、三重塔の東側には、その「壺阪霊験記(つぼさかれいげんき)」の主人公である沢市・お里の像が立ち、横の崖は沢市が身を投げた谷と伝わっています

またこれらのような伝統的な見どころに加え、境内には昭和以降に造立されてきた石造物が異彩を放っており、山の斜面には、昭和58年に造られた、大観音石像は実に総高20m、石材の総重量1200tとなります。

あと、三重塔からトンネルを抜けた先の境内最高所から光明を放っており、下方の奈良盆地を見渡せる場所には大観音石像の下には全長8mの大涅槃(だいねはん)石像も安置されています。

そして三重塔の南には、釈迦の一代記を浮き彫りにした全長50m、高さ5mの石像仏伝図レリーフがあり、塔の下段にはインド・アジャンダ石窟寺院をモデルにした大石堂が立っています。

堂内は中央に仏舎利塔を安置し、壁面は石仏で荘厳されており、平成19年11月には、台座を含め総高15mの大釈迦如来石像が大石堂の北に開眼しました。

これらの石造物は、インド政府から提供された石材を現地の石工がパーツ毎に彫刻した後、日本へ運ばれ、寺で組み立てたものになります。

《参詣ガイド》
壷阪寺は高取山の中腹にあり、近鉄壺阪山駅から奈良交通バスに乗車、国道24号とは壷阪寺口で別れて、山腹を縫うカーブの多い参詣道に入ります。

駅から10分余りの終点で下車し、案内板に従ってバス停近くの坂道を少し上ったのち、階段を下ってゆくと、拝観受付があります。

古色を帯びた堂塔に交じって、昭和に建立されたインド渡来の大観音石像や、平成19年に」開眼した大釈迦如来石像が安置された境内は独特の雰囲気があります。