西国霊場唯一本尊に不空羂索観音を祀る「第九番札所 興福寺 南円堂」

●宗派:法相宗大本山
●御本尊:不空羂索観世音菩薩
●開基:藤原冬嗣
●創建:弘仁4年(813年)

《概要》
興福寺は世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつで、天智8年(669年)に藤原氏の祖である藤原鎌足の妻・鏡女王(かがみのおおきみ)が夫の病気平癒を祈願して京都山科に建立した山階寺(やましなでら)が起こりになります。

のちに飛鳥に移転し厩坂寺(うまやさかでら)に改められ、さらに和銅3年(710年)の平城遷都に伴い現在の地に移って興福寺と改称されました。

藤原氏の氏寺として、藤原氏の勢力伸長につれて自域を拡大し、平安時代には京都の延暦寺とともに南都北稜と並び称され、鎌倉時代から室町時代には、大和一国を支配するほどの権勢をふるいました。

興福寺五重塔【国宝】を水面に写る猿沢池をまわり、石段を上がって五重塔を背に進むと西国霊場の南円堂【重要文化財】に至ります。

平成8年春に大修理を終えた朱塗りの色が鮮やかな南円堂は興福寺に立ち並ぶ伽藍の中の一堂で、弘仁4年(813年)に藤原冬嗣が父・内麻呂の追善の願いを込めて、父が発願した不空羂索(ふくうけんさく)観音菩提を祀ったのが始まりといわれています。

藤原氏の中でも力があった摂関家北家の祖ゆかりとあって、興福寺の中でも特別な存在で、金色に輝く宝珠を頂く八角円堂は、四代目で寛政元年(1789年)に再建されたものです。

またご本尊である不空羂索観世音菩薩座像【国宝】は三目八臂(はっぴ)、像高336cmの堂々とした巨像で、文治4年(1188年)から翌年にかけて、運慶の父・康慶(こうけい)とその一門が造ったと伝えられ、この像は秘仏ですが、10月17日の大般若経転読会の時に特別に開扉されています。

南円堂の傍には一言だけのお願いをすると、それが叶えられるといわれる「一言観音」を祀る小堂が建っています。

また、南円堂と対をなす北円堂は、藤原不比等追善のため養老5年(721年)に創建され、南円堂が出来るまでは単に円堂と呼ばれていたといわれており、さらに五重塔【国宝】と東金堂【国宝】はともに室町時代に再建されたものになります。

あと興福寺国宝館では有名な阿修羅像をはじめ、国宝・重要文化財に指定されている仏像や仏画などの寺宝が拝観できます。

興福寺一帯は、奈良公園として整備されており、世界遺産にも登録されている春日大社や東大寺など、見どころが多く揃っています。

《参詣ガイド》
興福寺は近鉄奈良駅から近く、東側の改札を出てエスカレーターで地上へ出て、行基菩薩像の立つ噴水から緩やかな上り坂の大通りを進むとすぐに右手の木立の間に伽藍が見え隠れします。

ただ、出来る事なら駅から右に折れて東向商店街を抜け、猿沢池の畔を巡ってから境内に入るのがお勧めですが、これは寺の南であるこちらが、本来の正面に当たるからです。

采女神社近くの石段を上ったところに立つ、香煙たなびく朱塗りのお堂が目指す札所の南円堂になります。