花の寺で知られ紫式部も参籠した名刹「第十三番札所 石光山 石山寺」

●宗派:東寺真言宗
●御本尊:如意輪観世音菩薩
●開基:良弁僧正
●創建:天平勝宝元年(749年)

《概要》
天平19年(747年)聖武天皇の勅願により良弁(ろうべん)僧正が開創したと伝えられており、石山寺縁起絵巻によると、東大寺大仏造立に際し、黄金がないことを憂いた聖武天皇の命で金峯山(きんぶさん)に籠った良弁僧正は、瀬田の霊山に行けとの蔵王権現の夢告を受けました。

良弁僧正は瀬田で出会った比良明神の化身の老人に教えられて、」石山に庵を結び如意輪観音を祀ると、陸奥の地で金脈が発見されたため、この時祀った像を安置した岩から離れなくなったので、一時を興したと伝えられています。

また、壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)の霊を祀るべく建立された小寺が起源とも伝えられており、従来疑問視されていましたが、平成3年に白鳳期の瓦が出土し、開創が7世紀に遡る可能性が強まっています。

そんな石山寺は、観音の霊地とされ、平安時代になって観音信仰が盛んになると、歴代の天皇や貴族の崇敬を集めました。

紫式部が源氏物語の構想を得たのも石山寺とされ、和泉式部日記や蜻蛉日記など多くの王朝文学にも記されており、その広大な境内は年間を通じて様々な季節の花に彩られ、特に梅や桜、花菖蒲、紅葉は見事な眺めになります。

さらに源頼朝の寄進により建てられ、左右に運慶・湛慶作の仁王像を配した東大門【重要文化財】をくぐって参道を進み、石段を上ると目に入るのが天然記念物の巨大な珪灰石(けいかいせき)の岩盤とその上に建つ優美な多宝塔【国宝】の姿です。

塔は東大門と同じく源頼朝の寄進で健久5年(1194年)に建てられ、二重塔としては日本最古の多宝塔といわれています。

多宝塔を見上げながら階段を上がると、本堂【国宝】に着きますが、本堂の内陣は平安時代中期に再建されたもので、外陣礼堂は慶長7年(1602年)に淀君の寄進により増築されたといわれ、本尊と同じ岩盤の上に立っています。

あと、本堂内には紫式部が源氏物語を執筆した「源氏の間」が残されており、そこには紫式部の人形が置かれ、「源氏物語」執筆当時を再現しています。

瀬田川を見下ろす高台には、近江八景「石山の秋月」のシンボル月見亭がたち、隣には松尾芭蕉がたびたび仮住まいしたという芭蕉庵もあります。

《参詣ガイド》
京阪石山坂本線の終点、石山寺駅を降りると、目の前に満々と水を湛える瀬田川があり、その駅前から門前を通るバスの便もありますが、わずかな距離なので瀬田川を見ながら歩いていくのも良き10分ほど南下すると石山寺門前に着きます。

東大門をくぐった参道両側には、塔頭の白壁を背に樹齢200年を超すツツジやサルスベリの並木が季節に彩を添え、受付を入ってすぐの右手に「大理石のくぐり石」があり、天平の昔から胎内潜りの奇岩として知られています。

その先、右手に見えるのが本堂へと至る石段となり、石段の先にあるごつごつした珪灰石の塊が印象的といわれています。