西国巡礼難所のひとつで葛城連峰が一望の「第四番札所 槇尾山 施福寺」

●宗派:天台宗
●御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
●開基:行満上人
●創建:欽明天皇時代(539~571年)

《概要》
施福寺は欽明(きんめい)天皇の命を受けて、行満上人が弥勒菩薩を本尊として建立した日本有数の古刹になります。

山号である巻尾山(槇尾山)は、役小角が書写した法華経の巻々を葛城山の峰々に埋めた際、巻尾をこの山に納めたとの伝承から用いられています。

東大寺建立などに尽力したことで知られる奈良時代の高僧・行基も慶雲3年(706)にこの寺で修業しており、現在西国札所の観音として知られる十一面千手観音は、宝亀2年(771)に行基の高弟・法海によって安置されたといわれています。

この像には次のような逸話があります。当時、寺にはみすぼらしいながらも辛い仕事を不平も言わずに行う修行僧がおり、この僧が修行を終えて下山する際に、旅費を無心すると、寺の僧にののしられたうえ、断られてしまいました。

修行僧は「出家としてなんと情けない、恥ずかしいことだろう」と言い残して下山しましたが、これを知った法海がすぐに後を追いましたが間に合わず、すでに僧は海上に出たあとでした。

むなしく立ち尽くした法海ははるか彼方に紫雲に包まれた千手観音を見、そこで初めて修行僧が観音の化身だったことを知った法海は一山の僧とともに懺悔し、この観音を造立したといわれています。

その後、一時は一山八百坊を数えていましたが、織田信長による焼き討ちで焼失し、その後豊臣秀頼によって再興されましたが、弘化2年(1845)の山火事で伽藍を失いました。

尚、本堂は槇尾山の頂上に近い530mの所にあり、西国三十三ヶ所観音霊場の中でも難所とされています。

参道へは八丁から数え始める、急な階段を上り、弘法大師空海が剃髪したと伝わる愛染堂から階段を上り切れば、本堂の構える境内に出ます。

また西国三十三ヶ所巡礼中に山中で道に迷われた花山法王を、馬が道案内した故事にちなみ、本堂の裏側に馬頭観音も安置されています。

山上の寺ながらも境内には茶店もあり、茶店の前辺りには岩湧山や金剛山の眺望も開けています。

《参詣ガイド》
第11番の醍醐寺准胝堂や第32番の観音正寺と並ぶ難所とされている施福寺には、南海高野線の和泉中央駅から南海バス槙尾山口行きで20分、槙尾中学校前でオレンジバスに乗り換え、10分ほどで終点の槙尾山に着きます。

ただ、オレンジバスの運行は平日1日4便、日・祝日でも7便のみのため、時間が合わなければ南海バスで槙尾山口まで行って、槙尾山バス停まで1時間余りを歩くことになります。

槙尾山バス停のすぐ前に槙尾山観光センターが立っており、駐車場も観光センター前にあります。

槙尾山バス停から本堂までは山道を歩きますが、仁王門までは広いなだらかな上り、その先がかなりつらい道のりとなります。

楓のトンネルの中を登って大日堂を過ぎ、曲がりながら続く急坂と石段を登ると、木々の枝が重なる中に愛染堂があります。

さらに急な石段を登りきると、やっと本堂が見えてきますが、標高530mのこの場所まではバス停から40分ほど掛かります。

その本堂前の広場からは、葛城連山を一望することが出来ます。