太閤最後の醍醐の花見で知られる「第十一番札所 深雪山 醍醐寺」

●宗派:真言宗醍醐派(総本山)
●御本尊:准胝観世音菩薩
●開基:聖宝理源大師
●創建:貞観16年(874年)

《概要》
醍醐寺は豊臣秀吉が慶長3年4(1598年)の春に行った醍醐の花見で知られる京都屈指の桜の名所になります。

修験道における中興の祖・聖宝理源(しょうぼうりげん)大師が上醍醐山上に小堂宇を建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのが起こりといわれます。

尚、醍醐寺の名は聖宝が真言布教の霊地を求めてこの地を訪れた所、翁が現れ湧き水をすくい飲み、「ああ、醍醐味かな」と言って、姿を消したという故事により、その翁は当山の横尾明神であったといわれています。

その後醍醐・朱雀・村上三帝をはじめ皇室貴族の保護を受けて大伽藍が築かれましたが、応仁の乱で多くの堂を焼失されたものの、豊臣秀吉により復興され、現在でも醍醐山(笠取山)の麓から山上まで80余の堂塔伽藍が立ち並んでいます。

仁王門をくぐり、国宝の金堂と五重塔を見ながら女人堂を経て、そこから西国札所のある上醍醐の准胝堂までは約3kmの山道を進みます。

丁石の案内に従って杉木立の参道を上ると、五丁に秀吉の醍醐花見の場で、十六丁の峠まではきつい上りで、社務所の手前が十九丁となります。

参道を奥へ進むと室町時代に建てられた寝殿造風の典雅な建物である清瀧宮と拝殿、そばに醍醐寺の起源となった醍醐水が湧き、現在も霊水を飲むことが出来ます。

石段を登ったところに醍醐寺創建に関わる建物である西国札所の准胝堂があったが、平成20年の落雷によって焼失し、現在復興が待たれています。

さらに登ると醍醐天皇の御願で建てられた薬師堂及び五大堂、最高地点の崖上に張り出す舞台造の如意輪堂、その隣の開山堂(御影堂)と続いていきます。

《参詣ガイド》
京都の南東、笠取山(かさとりやま)《醍醐山》の山上、山下に広がる醍醐寺は地下鉄・醍醐寺駅から歩いて約10分、コミュニティバスを使えば4分の場所になります。

もしくは、山科駅と京阪六地蔵駅を結んで旧奈良街道を走る京阪バスを醍醐三宝院で降りれば、寺の総門は目の前にあります。

しかし、札所の上醍醐准胝堂までは西国33ケ所中、観音正寺と並ぶ難所と覚悟しなければなりません。

総門から春には桜に包まれる桜馬場を通り、下醍醐の伽藍の間を抜けて上醍醐登山口に出るか、または仁王門の手前から光台院横の道を登り准胝堂へ向かいます。

上醍醐登山口には、准胝堂本尊の分身を祀る女人堂があり、准胝観音は子授けや安産、夫婦和合の信仰が篤いにもかかわらず、修験道の聖地である上醍醐は女人禁制の時代が長かったといわれており、現在はここで杖を借り、約2.5kmの山道を登ります。

およそ一丁毎に置かれた凡字を刻んだ町石卒塔婆37本が頂上まで続いており、その途中の不動の滝からはかなりな急坂となり、寺の草創にまつわる醍醐水横の石段を上ると准胝堂の前に出ます。

そこから薬師堂、五大寺を経て、開山堂まではさらに10分余り歩かなければなりません。